人は情報

平日なので労をしに職場に行った.今朝はなぜか乗った電車が混雑していた.それでも東京都心ほどの混雑度では無い.

今日の労働は,会議適性がないのに,また会議だったのでつらさがあった. その会議の後に振り返り会議みたいなものが始まってもっとつらくなった. それ以外の時間は新しく可視化のコードを書き,matplotlibでアニメーションを作った.いい加減こういうの止めたい. 他の情報は特に無い.

定時で帰宅を開始したが,列車の障害があって列車が来なかったので買い物をした. 週末に作る予定のスイートパンプキンに向けて生クリームを買った.

帰宅後,夕食は鍋をつくることにした.おとといの時点で材料は買ってあったので, 白菜を切り,肉を切って鍋に詰めて調味料を入れて煮込んだ. つゆとしてポン酢が欲しかったがなかったので,醤油と酢とレモン汁で代用した. 出汁を吸った白菜が酸味のきいたつゆと合わさり,とても美味しかった. 少し作りすぎたので残りは明日の夕食になるだろう.

夜は主に絵をやった.連日同じ絵を描いてくるくせに相変わらず進みが悪い. 何とか月末までにアップロードしたい.わかるかもしれないが,ハロウィンの絵を描いている. ほとんど初めてこういう季節性のある絵を描いてみたが,なんだか一端の絵師を気取っているようで, 自分の中から調子に乗るなよと言われているのを感じる.

最近,仕事にしても趣味にしても,レベルの高い人を見てはそのすごさに振り回されているように感じることがある. まず,事実として自分よりいい仕事をする人とか,能力の高い人は腐るほど居る. そして,こういう人たちや,その生成物が目に入ったとき,自分も同じような能力が欲しいと思うことがある.

この時,いい場合は目標とする能力を手に入れるために,次はどうすべきかということを考えることができる. つまり,目標に向かうためのもっと小さな目標に分解することができる. しかしわるい場合,どうしたらいいのかわからずにただ羨ましかったり,なぜ自分はダメなのだろうと考えてしまう. たぶん,この場合目標が高すぎて理解できなかったり,現状の自分と離れすぎていたりするのだろう.

私の理想としては,羨ましいと思えば思うほど気持ちを先走りさせずに,目標を明確にしたいと思っている. 以上のようなことに対して,最近「人は情報」という言葉を自分の中で使っている (人の能力,環境,その他諸々に対して気持ちを持つのではなく,単純に情報としてとらえ,冷静に目標を立てられたらいいなという意).

その一方で,現実にはどれだけ自分のことに集中しても,才能や環境,その他おそらく様々な要因で最終的に到達できる点というのは 異なってくるということも理解している. しかし,そうであればこそやっててつまらない,自分が向いているとも感じられないことに時間を使っているほど人生は長くないと思う. 私は(適性はさておき),日々もっと楽しいことがしたいし,やっていることが楽しくあり続けて欲しい.

人生が楽しくなることを願いつつ,寝る.